ナイチンゲールに学ぶ
信念を持った強い女性
看護の母として有名なナイチンゲールは、1820年5月12日に生まれました。両親は裕福な貴族だったため、ナイチンゲールはお金持ちの娘として育ちます。少女時代から思ったことは実現させる強い信念を持っていた彼女は、ある日、足を骨折した子犬を道端でみつけます。そして近くに居合わせた牧師に手伝わせて、子犬の足に添え木を結びつける手当をしてあげます。大人を従わせてしまう威厳と子犬を手当てする看護能力、そして怪我した子犬を放っておかない優しさが感じられる少女時代のエピソードですね。ナイチンゲールは女性ですが、語学や哲学、歴史や文章術など、様々な教育を受けることができました。特に気に入ったのが数学。ナイチンゲールは両親の反対を押し切って、数学の世界で生きていくことを決めました。女性なのに数学で勝負をすると決めた彼女の挑戦の始まりです。
数学や統計学に挑戦
ナイチンゲールが数学に憧れた理由の一つに、アドルフ・ケトレの著作「人間について」の存在があります。この本は統計学を生み出した本とも呼ばれていますよ。例えば「ライラックの法則」では、「霜が降りなくなった日から数え始め、1日の平均気温の2乗を合計していく。その合計が4264を超えるとライラックの花が咲く」ことを証明しています。無味無臭に見える数字が、実は自然の法則を解き明かすことができることにナイチンゲールは深く感動。そして数学と統計学を学ぶことで、その後の看護師として活躍する時代にたくさんの人の命を救う助けになりました。
看護師としての挑戦が始まる
社交界の花として人気だったナイチンゲールは、1853年に全てを捨てて看護の世界に進出。ロンドンの病院の監督になり、それまで養ったスキルを活かして活躍を始めました。当時は看護師という仕事は、未亡人やメイドが最後に流れ着く、どちらかと言えば地位の低い仕事でした。しかしナイチンゲールの登場で、看護師の仕事は誇りを持てる現在のような地位の確かな仕事に発展していきます。クリミア戦争が始まると、ナイチンゲールは38人の精鋭看護師と一緒にトルコのスクタリ陸軍病院で看護を始めます。不潔で劣悪な環境の病院、さらには医療品が満足に届かない中、ナイチンゲールの新しい挑戦が始まりました。どれだけたくさんの人を救えるかという意義のある挑戦ですね。
挑戦の連続だった彼女の人生
戦時中の野戦病院であるにも関わらず、管理者である男性の官僚たちは無気力でした。病院の劣悪な環境を知られないようにするために必死で、事態を改善しようという気持ちを持っていませんでした。しかしナイチンゲールはトイレ掃除の権利を得ることから始め、徐々に自分のテリトリーを広げていきます。さらに新聞社に事態の深刻さを伝え、私費を投じ、寄付を募り、医療品を揃えます。結果的に病院の死亡率は42%から2%まで劇的に下がります。さらに学んだ数学と統計学を活かして、クリミア戦争の死者の死因を分析した900ページの報告書を政府に提出。図解グラフが掲載された誰にでも分かりやすいこの報告書が、世界中に健康福祉をもたらすバイブルになります。1910年に亡くなるまで、ナイチンゲールは世界中の人たちのために挑戦を続ける人生を送りました。
挑戦の連続だったナイチンゲールの人生に興味を持った人は、コミック版「ナイチンゲール(コミック版世界の伝記)」を読んでみましょう。
- ナイチンゲールの挑戦に溢れた素晴らしい人生を、コミックとして非常にわかりやすくまとめた一冊。
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